本美濃紙で透ける暦の手帳を作る

 紙は消費されて初めて、次を必要とします。「必要」とされるからこそ人は「もっと良いもの作るぞ」と心に火がつき情熱に燃えます。そんな気持でこの紙は漉かれました。まごころは紙漉き道具を作る人や原料を育てる人々へと伝播していきます。この紙を手にした人はきっと愛着を持ち、また次の紙を必要とします。

 まごころ込めて一枚一枚丁寧に漉かれた紙を持ち歩けたら、その紙を開くと『ほっ』と一息つける。きっとまた澄んだ心で優しく粘り強く生きていける―。
 そんな気持ちで人と接するなら、またそんな気持ちが伝播していくもの。そしてまた…。これがサステナビリティ(継続可能な社会の仕組み)の本当の姿です。これが本美濃紙で手帳を作ることにした理由です。

 「本美濃紙」の歴史は大変古く、紙漉き技法の伝統は1300年守られてきました。
 現存する世界最古の紙は奈良県・正倉院に保管される美濃村の戸籍名簿。千三百年以上前のもので、千年超の耐久性が実証されています。

 江戸時代は徳川幕府の管理下に置かれ、江戸奉行専用の帳面や非常に地位の高い人の家だけが使える障子紙に使われ、人は美濃紙を使うのを許されることに誇りを持っていました。

 強靭なのにとても薄く、光の透ける美しさを合せ持つ「本美濃紙」。光の演出に最適で耐久性があることから高価なランプシェードの素材に応用されるなど用途が広がり、世界中から高い評価を受けています。

 平成26年(2014)ユネスコ無形文化遺産保護条約が定める無形文化遺産に指定された「本美濃紙」は、大英博物館やV&Aミュージアム等、ヨーロッパ各国の博物館や美術館からの注文が絶えず、重要文化財の修復や高価な美術品の保護に欠かせないものとなりました。

 中でも「石原英和工房」の紙は海外からの引き合いが高く、1人の職人が漉ける枚数にはどうしても限りがあるため、海外のお客様に少々お待ちいただいている状況です。そのため国内に回す目処が立たずとりわけ入手困難となっております。

 石原英和工房に手帳の趣旨を伝えてご理解を賜り、貴重な紙を分けて頂きました。真心を込めて手帳にし、あなたのお手元にお届けできました。あなたが使うことでまたサステナブルな新しい価値が生まれます。

JIS B版は美濃判が基準だった

「紙は人の心を開くんだよ」幼い頃、そんな話を聞いた記憶があります。「そんなこといったかね?」と歳を重ねたその人は申していましたが、紙に自分の言葉で書き出すことで心が落ち着く「エクスプレッシブ・ジャーナリング」が世界的に注目されています。確かに自分の手で紙の上に言葉を書こうとすると、呼吸が深くなりだんだん落ち着いてくるのを実感します。

そんな紙のサイズですが、紙文化の日本では太古の昔から基本サイズが定められ流通していました。その1つが「美濃判」です。

美濃判は江戸幕府が公式に使用したサイズで、身分の高い人だけが使うことを許されたサイズ。その用紙はもちろん本美濃紙が使用されていました。

岐阜県美濃市では現在も「本美濃紙」として引き継がれている和紙。京間判サイズで基本的には生産されていますが、「美濃判」というサイズで漉かれていた時代が長くありました。

美濃紙は最高級の障子紙として重宝され、障子紙といえば美濃、美濃と言えば障子紙とされるほどでした。

その美濃紙の美濃判サイズは縦27.3㌢横39.4㌢で、これを半分に折り端を綴じて江戸の公式帳面として使っていました。時代劇でよく出てくるあの帳面は美濃判サイズなのです。

時代は明治維新後、誰でも自由に紙を使っても良いことになり、それまで位の高い人だけが使うことを許された美濃紙を誰でも使えるようになりました。それで庶民も障子紙に美濃和紙を使うようになり、一気に流通が盛んになりました。

基本のサイズが定められていたとは言え、地方毎のばらつきがあった紙。その上、ドイツ規格のA0サイズの外国の紙が出回るようになると、運搬が一気に煩雑になりました。それだけ日本の国が急激に栄えた証拠なのですが、嬉しい悲鳴です。

それで日本国の紙のサイズを統一することに鳴ったのですが、それまで江戸幕府が使っていた帳面の美濃判を基本にしてサイズを決めることにしました。

A0サイズの面積は1㎡なので、単純に1.5㎡のルート長方形をB0とし、それを半分に切り半分に切り半分に切り半分に切るとB4になります。

このB4の寸法が美濃判に近い25.7cm ✕ 36.4cmになったので「これでよし」となりました。

このルート長方形という規格。19世紀にドイツで発明されたとされていますが、改めて美濃判のサイズを計算すると、27.3㌢✕38.4㌢でルート長方形なんですよね。1㌢長いのは誤差かと思ったのですが、帳面として使う時の綴代を考えると開いて使うとちょうどルート長方形になるのです。

「紙は心を開く」というのはこの形状によるのでは?と思いを馳せると、美濃判の帳面サイズを最初に定めた昔の人って、どうしてわかったの?天才!ってなりませんか。

その文化が脈々と受け継がれている美濃和紙そして本美濃紙。それを大事にしようとしている日本人と日本に住み日本文化を愛する仲間たち(外国人とか言わずに「日本を愛する仲間たち」と表現したい)が受け継いでいるものってなんだか凄いって思いますね。